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平成31年度入学式式辞

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「人知らずして(いか)らず」

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。皆さんをこうしてお迎えできますこと、大変うれしく存じます。
 さて、論語から私の座右の銘を、ここに記させて頂きます。
「学びて時(とき)に之を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。有朋(とも)、遠きより方(なら)び来(きた)る、亦楽しからずや。人知らずして慍(いか)らず、亦君子ならずや」
 書物や師匠について学び、そして機会あるごとに反復練習、実践していけばその学んだものが、おのずとわが身に体得され真の知識となります。此処で言う「時に之を習う」の「時に」とは、その時代、その時勢に則したという意味です。時代・時勢を離れては、空理・空論に過ぎません。そんな中で、自分で出来ることを知る、或は疑問を抱き、そこに新たな真実を見出すこともあります。そうした体得の喜びこそが学ぶことの、真の喜びなのです。「説」は悦に通じ、知らないことの不安、心の蟠(わだかま)りがとれ、よろこびを感ずることです。そうやって修養・研鑽を積んでゆくと、共感者、同志が遠いところからでも慕い尋ねて来てくれます。これは、また感動するほど楽しいことです。そこで議論し、その真実をあらためて確信し、時には全く新しい真実に気付くかもしれません。こうした積み重ねが、学問することの楽しみになります。とは言え、世の中どんなに自分を磨いたからと言って、自分を知ってくれ、認めてくれるとは限りません。しかし、そんな評価はどうであれ、これを怨(うら)まず、咎(とが)めず、ひたすら研鑽し続けること、即ち目先の名聞利養(みょうもんりよう)に囚われることなく、自分自身が信じる道を泰然自若、凛として前に突き進む姿こそが、「人知らずして慍らず」であり、君子たり得るのではないか、と断じています。
 ここで云う「慍(いか)る」とは、心を表す立心偏【忄】と、ぐつぐつ煮える料理を皿に盛り、うつぶせにして熱を中に籠らせるという意味の旁(つくり)【昷】から成り立っています。したがって「慍る」とは、心中じっと堪えている様子を表し、「いかる」その感情は決して外に向っては現わさないことを意味します。「慍らず」となると、心中腹を立てることすらないということになります。同じ「いかる」という読み、意味でも「嚇(いか)る」「恚(いか)る」「怒る」「瞋(いか)る」「憤(いきどお)る」とは違います。
坂村真民の詩に「しんみん五訓」という楽しくなる詩があります。
 クヨクヨするな (気に病んでも仕方ないことに心を悩ます)
 フラフラするな (意志や判断力に欠け、目的もなく行動する)
 グラグラするな (ものや気持ちが揺れ動いて定まらない)
 ボヤボヤするな (注意が散漫だったり、気が利かなかったり、適切な行動をしない)
 ペコペコするな (幾度も卑屈に頭を下げる)
独り言には、何と素晴らしい言葉でしょうか。私もこれを、折に触れ、呟き、自分を励まし続けております。皆さんも「しんみん五訓」を口ずさみながら、大道をまっしぐらに歩んでゆきましょうか。

平成31年4月5日 大山 喬史