建学の精神:本学の建学の精神〜二大眼目〜
建学の精神

本学は仏教、特に禅の教えに基づく人格の形成をもって、建学の精神としている。
この精神を本学の初代学長中根環堂先生は
大覚円成 報恩行持
の二句八字をもって示された。
この二句は曹洞宗大本山總持寺の御開山である瑩山禅師の御垂示の中から選ばれた二字ずつの大事な言葉から成り立っている。
「大覚」すなわち、「大いなる目覚め」とは、釈尊が自然と人生に通じる大鉄則たる無常と因果・縁起の道理を悟られたことをいう。同時に、その悟りを開かれた方、すなわちブッダ(仏)となった釈尊に対する呼び名の一つでもある。
「円成」とは、その同じ悟りを、われわれもまた自らのものとして、完成することである。われわれはブッダの教えに従い、ブッダの心を心として人格を完成することを目標としたい。ブッダの心を心とするとは、正しい智慧(知恵)を身につけるとともに、人類のみならずすべての生きとし生けるものに対し、深い慈愛の心を持つことである。
われわれは時間的・空間的に、すなわち歴史的にも社会的にも、深いえにし(縁)に結ばれて、いま、ここに生きている。そのことをわれわれは日頃、欲得や好悪の感情に晦くらまされているために、つい忘れがちである。ブッダはその教えを通じて、これをわれわれに気付かせ、欲得や好悪の感情等を克服すれば、われわれに本来具わっている仏心が働きをあらわすと明かされた。
「報恩」とは、深いえにしによって生きていることに感謝するとともに、この道理と人生の正しい 在り方に目覚めさせてくださったブッダ釈尊に感謝し、喜んでその恩に報いることである。
「行持」とは、この報恩のために、ブッダの教えを忠実に守り、実践することである。われわれは毎日の生活の中でブッダの教えを実践し、本来具わった仏心を開発し、実現するように努めなければならない。この「報恩の行持」の実践を通じてはじめて、「大覚の円成」がある。仏教では、このような実践に努める人を菩薩とよぶ。
以上のように「大覚の円成」と「報恩の行持」とは切り離すことのできない、二つにして一つのことである。曹洞宗の開祖である道元禅師はこれを「修(=報恩の行持)のほかに証(=大覚の円成)なし」と示しておられる。
人類は、その知の力を最大限に発揮して、優れた技術を生み、機器を発明して、物質的繁栄をもたらした。しかし、他者に対する思いやりの心に欠けるところがあり、他国を侵略し、自然を破壊して、地球そのものの存続すら懸念されるほどになった。われわれはこの点を反省し、人として生を受けた因縁を感謝し、生物、自然との共生に努めなければならない。
本学に学ぶ諸君が、優れた叡智と豊かな情操を具えた教養人として、未来の社会創造に貢献することを期待する。




